山田昇
山田昇は1943年宮崎県に生まれた。
1963年、日本ビクターに入社し品質管理の担当として活躍するが、1973年山田30歳の時「人に使われるのが嫌」という理由でビクターを退社する。
その後、前橋市で「ヤマダ電化センター」を開業する。
当時、電化製品販売の常識であった訪問販売と、その場で故障を修理できる技術者ならではの強みを生かして、順調に売り上げを伸ばしていった。
しかし、訪問販売という販売員と顧客が密接な関係を築きやすい商習慣が裏目に出て、社員が顧客を持ったまま次々と独立することとなり、急激に業績が悪化していく。
山田は思い切って規模を縮小するため、在庫をディスカウントして販売したところ、在庫が飛ぶように売れた。
ここで山田は「これからは訪問販売の時代ではない」と気づく。
訪問販売から量販店へと業務転向し順調に売り上げを伸ばすが、当時の常識であった特約店型定価販売の形態に背く販売手法がメーカーの怒りを買い、取引停止になるなど仕入れに苦労する。
1983年、40歳の時に株式会社化する。全国へのチェーン展開を急いだが、思うように銀行からの融資が受けられず、「市場から直接資金を調達する」方策に踏み切る。
1989年に店頭公開し、1990年にはスイスフラン建て転換社債を発行する。
2000年には、店頭市場から東証1部の上場を果たした。
現在では売上1兆円を超える企業に成長している。
山田昇はこう語っている。
「全国チェーンに3、4番手はありえない。
1、2位は利益が出て、3番は利益がなく、4番はつぶれる。
食うか食われるかという競争がまだまだ続くだろう。
圧力は厳しかったけれども、あえて先頭を切って風を受けてきたこ
とが、ヤマダの強さにつながった」